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仕舞いきれない想いの残骸

担当ということば

 

いろんな方が『担当』について考えているので、私も担当について考えてみようと思う。(ちょっと視点が皆さまとずれているような気もするけれど)

 

私は『担当』を決める前にだいたいグループのことが気になるタイプで、この子がかっこいい!から入ること(少なくとも嵐もセクゾンもそうでは)はない。そのグループの出ている番組等を見ていくうちにメンバーそれぞれの特徴を知り、その中から特にこの子を応援したい!と思う人を『担当』とする。そうとなればその子の団扇を持つし、その子のいる現場に行く。グループが好きなら担当なんか決めなきゃ良いし、言ってることが違うじゃねえか!と思われそうだが、私は自担がいない現場には基本的に行かない。オンリー担ではないし、他担に対する後ろめたさでもないのだが、不思議と行く気が起きない。(これはひとつのことに集中してしまうという私の性格の問題)

 

『担当』という言葉を使うことで、数多くいるジャニヲタという括りの中でその担当ごとにグループ分けされる。○○くんは私(たち)のもの!みたいな感情を抱くことはあるし、その感情は別に嫌いではない。(表に出すことはあまりよろしいことではないが・・・)同じ担当の人同士でしか共有しあえない感情がある。とも思っている。そのグループはとても居心地が良い場所だ。だから私は担当という言葉が好きだし使う。まあジャニヲタに自己紹介するときに共通語でラクだからという理由が一番のような気もするが。

担当だから、と義務感に駆られたことはない。契約をしたわけではないのだから、権利も義務も発生していない。アイドルは自分を担当としている子だけにしかファンサをしてはいけないのか?他に応援したい人が出来れば、こちらも勝手に担当を変える。私自身も書いたが、担降りブログも書くことで自分の決意を表彰しているだけだ。

 

多分、私は○○くんを担当としてる『私』が好きだ。その『私』でいることはとても楽しいし幸せだし、自分の好きな人を(勝手に)応援できることをとても誇らしく思う。